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<4>旧学制から六三三学制改革への移行期の三重の体操(1947〜1950)

 戦後、1946年(S21)1947年(S22)年は、まだ旧学制(小学校6年義務教育・進学志望者のみ中学校5年)下にあり、その間にもどんどん 各競技会は復活していった。そして、1948年(S23)には大学制改革といわれた、小学6年中学3年義務教育・進学志望者は高校3年となった。

 1947年(S22)6月戦後初の第一回三重県中学校体操競技選手権大会・兼・第二回国民体育大会〔金沢〕県予選会は香良洲の旧海軍予科練の雨天体操場 で開催された。

男子 団体総合 1位 津中2位 宇治山田中3位 富田中
女子 団体総合 1位 県津高女2位 飯南高女3位 尾鷲高女
同年10月、第二回国民体育大会〔金沢〕では体操競技・中学女子で三重(飯田、田中、扇田、広野、小島)は6位入賞という快挙を成し遂げた。男子(奥田、 矢野、山田、岩本、村山)は10位であった。

 当時の選手群としては、津中(奥田、矢野、村山、後藤、浅山)、山中(山田、岩本、前田、村田、三井)、三重師範(澤井)、河原田農芸(藤波)、 尾鷲中(岡、福定)。女子では県津高女(飯田、扇田、三宅)、飯南高女(田中、広野、小島)らが活躍した。中でも山田のツイスト、軽妙に六種目をこなす岩本、 新技をいとも簡単にやってのけるエンちゃんこと村田、鉄腕といわれたつり輪十字の藤波らの多士済々の面々がいた。

 また指導人としては、戦後いち早く兵役から宇治山田中学へ現場復帰された角先生が自ら選手として活躍される中、先頭に立って選手の育成に尽力された。方や津中学には ボルネオから復員された在田先生(通称ボルさん)が野球部と兼ねて体操部の面倒をみて下さった。女子では県立津高女の別所先生、飯南高女の古田先生らが、それぞれ 女子体操部を創設され指導された。これが三重県体操女子の誕生といってよい。

 そして相次いで、家崎先生(全日本6位・スワローC)が津高へ、都留(大塚ク)先生が松阪高へ、1948年(S23)にそれぞれ赴任された。2人は現役選手であり当時の 中央の流れをもって新風を三重の体操界に吹き込んでくれた。

 1948年(S23)5月になると、学制改革が強引に実施され、既に新制中学は義務化され始まっていたのに旧制中学3年生はもどされた。旧制中学4・5年年生は 新制高校1・2年生となった。

 同年6月、第一回三重県高等学校体操競技選手権大会
男子 団体総合 1位 宇治山田高2位 津高3位 松阪南高
女子 団体総合 1位 松阪南高2位 津高3位 宇治山田高

 東海大会
高校の部 男子 団体総合 1位 三重(山田、村山、岩本、前田)
高校の部 女子 団体総合 1位 三重(飯田、田中、扇田、広野)
一般の部 男子 団体総合 1位 三重(家崎、都留、角、澤井)

 同年10月、第三回国民体育大会〔福岡〕体操競技男女総合 三重6位入賞

 1949年(S24)第二回 三重県高校体操競技選手権大会
男子 団体総合 1位 宇治山田高2位 津高3位 松阪高
女子 団体総合 1位 松阪高2位 津高3位 宇治山田高

 同年 東海大会
高校の部 男子 団体総合 1位 三重(岩本、前田、村田、後藤)
一般の部 男子 団体総合 1位 三重(家崎、都留、角、山田)

 同年 第四回国民体育大会〔東京〕
高校男子 団体総合 8位入賞 三重(岩本、前田、村田、後藤)
個人総合 7位 岩本
種目別跳馬 2位 村田

 1950年(S25)第三回三重県高等学校体操競技選手権大会
男子 団体総合 1位 津高2位 宇治山田商工3位 松阪高
女子 団体総合 1位 津高2位 宇治山田高3位 尾鷲高

 同年東海大会 一般男子 1位三重(家崎、都留、山田、岩本)

 同年第5回 国民体育大会〔名古屋〕一般男子 8位入賞

 上記のごとく、当時全国レベルに見えの体操があった由縁を洞察してみると、前述の予科練の器具のおかげで他県より比較的早く 体操連盟が終戦以後の復活を成し遂げたこと、また当時田舎は食の調達も都会に比べれば優で、中央の大学が三重師範(当時・香良洲の航空 予科練跡地にあり、後に三重大学学芸学部となり現・教育学部となる)に毎年春・夏よく合宿などに来てくれ、本件選手に大いなる刺激を与えてくれたこと、 現役選手を兼ねた若い指導陣に恵まれたこと、などなどがあげられる。

≪1947年(S22)旧制中学校・男子体操競技・平行棒〔規定演技〕≫

アームハング振動→後方振り上がり→前振り→後方振り上げ倒立・静止(3秒)→側方2分の1回転下り(左右いずれでも可)

※旧技用語
現在ではウォーミングアップにもならない??


(掲載日 2006年11月30日)